縁起
開基 不詳
むかしは「高寺堂菩提寺」と称し、陸奥三山の一つで、末院は千有余あったといわれたが、
802年に比叡山衆徒の兵火にかかり滅びた。(現西原廃寺遺跡‐県指定史跡公園‐)
その後、弘法大師が東国行脚の折この地に立ち寄られ、零落の跡をみて
「この地に高野山を移し、万民に菩提の縁を結ばしめる」ため、道場を再興して真言宗の寺とした。
1171年頃には鎮守府大将軍藤原秀衡公(平泉)が大檀那となり、当地方の祈願所と菩提寺として栄えた。
しかし、嫡男 泰衡が公の命に背き、源義経を弑逆したため、鎌倉勢の攻めにあい奥州藤原氏が滅亡。
この時、大鳥城を始め秀衡公ゆかりの当寺も堂塔伽藍ことごとく焼失した。(1189年 文治5年)
その後、1313年に公の功績を讃え記念碑を建立。
以来、寺の名前も5たび変わり幾多の変還を経て、
江戸時代に昔の不動寺にかえり、現在に至っている。
「新狐山」と号するのは、この地を「アラ狐の林」と言い、当寺の鎮守荒狐大明神を祀るため。
現在の本堂は1686年に建立され、重厚にして華麗。山門は昔の中門である。
境内は「峰の薬師」と呼ばれる古仏を安置する薬師堂や居座り地蔵、観音塀に囲まれる。
「正和の碑」や旧三州刈谷藩陣屋一族の墓跡、老紅梅などが往時の歴史と由緒を物語っている。
「 陸奥國伊達郡湯野村新狐山不動寺縁起 」
享保十乙巳年秋九月 荒狐山不動寺 中興第三世栄充和尚 これを録す
中興第十八世聖峰和尚編纂 沙門弘明再編
宗派とご本尊
真言宗豊山派
大聖不動明王尊
宗祖は 弘法大師 空海 (774~835)
総本山は 奈良県桜井市の 豊山神楽院 長谷寺
お釈迦さまのお悟りをもとに
大日如来を中心とした密教思想を展開する
宗祖 弘法大師が説かれた「即身成仏」とは
この身このままが そもそも仏であり
そのことに気づくこと 仏として生きていくことをあらわす
お不動さまは 猛火を背負い
右手に利剣 左手に羂索をもって
煩悩を断つ姿をあらわす
火生三昧に入り 一切の罪障を破り 動揺しないため
「不動」と申す
怒りの姿に偉大な力を示す 諸々の明王の中心で
大日如来にかわって 私たちをお守りくださる仏さまである
年間行事
大般若転読会
仏典で最も大部の「大般若経」を
転読といい 大音声で仰ぎ広げながら
一斉に読誦する法要
有縁無縁すべてのみなさまの
除災招福を祈願する
毎年 3月24日に厳修される
春/秋 お彼岸
春分の日は
「自然をたたえ 生物をいつくしむ日」
秋分の日は
「祖先をうやまい 亡くなった人をしのぶ日」
すべてのいのちに感謝をして
手を合わせましょう
お盆/新盆供養
お釈迦さまと目蓮尊者の逸話と
日本古来の先祖崇拝が習合した行事
毎年 8月13~15日 (月遅れお盆)
また 新盆を迎えたご家族とともに
8月14日に本堂にて合同供養を行う
毘沙門天 御開帳
別名 多聞天
七福神の一尊で 仏法を守護し
人々の願いを聞いてくださるとされる
毎年旧暦の初とらの宵祭りとして
年に 1日だけの開帳法要がある
御開帳とともに ご神体そのものへ
お賽銭を投げ当てる奇祭
除夜の鐘
1年を無事に過ごせたことに感謝し
新しい 1年を清らかな心で迎えられるよう
梵鐘を撞き 煩悩を払う
当山では番号札をお配りし
みなさまにも撞いていただいております
ぜひご参加ください
報恩講
私たちのいのちと
文化を伝えてくださった人々と
この1年を支えてくださったものに
感謝を込めて行われる法会
お釈迦さまがお悟りをひらかれた日とされる
毎年12月8日に厳修される
大師講
和歌にメロディーをつけたものが 詠歌
七五調のものが 和讃
宗祖弘法大師の み教えを説いたものや
故人へのお弔いの気持ちをよんだものなど
およそ 120曲が制定され お唱えされる
主に 毎週水曜日に詠歌の講習を行い
年に 2回ほど 全国と地方の大会へ参加する
観音講
観音さまとは 仏さまのなかでも
とくに慈悲のお力が大きいとされる
この功徳から 各地で観音霊場が信仰される
当山の観音講では 信達三十三観音や
西国 坂東 秩父 など 各霊場の
札所であるご寺院のご詠歌をお唱えする
観音さまのご縁日である
毎月 17日に開催される
団体参拝
住職らとともに 寺社仏閣と
それに付随する名所をまわる
主に 総本山長谷寺を中心とした関西方面や
各観音霊場の巡礼へ
隔年での開催を予定しているが
檀信徒より お声がけがあった場合は
適時 催行される